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2011/04/30

蛍光塗料をつけた、ユニフォーム、ボール、バッドを使用して、
最低限の照明の中で行うエキサイティングベースボール!

先週末、仙台、そして石巻、女川に行って
ちょっと感じたことを書きます。

東京の、あるいはそれ以外のいわゆる被災地域でない人間が
被災地を見つめる心情と、必要な想像力について。

私たちは今、なにをするに際しても、立ちすくみます。

”支援のために何かしなきゃいけないのに、ホントになにをすべきか。余計なことして邪魔になるといけないし”
”東北の食べ物とか買うのも支援だけど、でも正直放射能怖い”
”東北はいったいどうなっているのか?行くことさえ、怖い。”
”このビジネスを再開したら、ひんしゅくだろうか。”
”こんなメッセージを発したら、たたかれないか”
”こんなことテレビが言っているけど、被災者の気持ちになってない。マスコミはダメだ”
”この国って、どうせ利権とかしがらみで動かないよね。変わらないよ、どうせ。”

そうこう考えているうちに、動きがとれない。
そんな感じの人が多いと思います。僕もそのひとり。

それは、現場のリアルが見えていなくてて、だから
現地の方の心情へ想像力もぼんやりしてしまっているからだと思います。
なので、ちょっと心のスタンスの整理をしたいと思ったのです。
それが3つの想像力。

まず、一つ目の想像力。それは、東北はテレビで流される被災地域以外の街は、
「普通」をとりもどしているということへの想像力。

これは、仙台駅前の商店街です。

東京より「明るい」です。
なぜなら、東北電力管内なので節電が必要ないから。
人も驚くほぼ出ています。
少なくとも、中心部の様子だけをみたら、一見震災があったことすら
忘れてしまうような景色です。

われわれ東北以外の人間は、いま東北地方全部の場所、全部の街が
テレビで流れているような海岸沿いの被災地域のようなダメージを受けて
立ち直れない状況にあるのではと、全体でざっくりと捉えてしまいがちです。
それが、いわゆる「風評」被害にもつながっている訳です。

東北でも多くの街、特に中核都市は、
普通の生活を取り戻しつつあること。
だから、その街を観光で、ビジネスで訪れることに
基本的に躊躇はいらないということです。

しかし、それはある意味、街の表面的なことで
その裏には深い悲しみが流れていることへの想像力

またもたないといけないと思います。
それが二つ目の想像力です。

たとえば仙台でも、
街を一歩出れば、電気やガスが復旧したのはつい最近という場所も多い。
余震が怖くて夜眠れないために、マッサージ店などで日中に仮眠をとらざるをえない人も
いるらしい。もちろん海岸被災地域に家族、親戚、友人がいる人も多い。

普通を取り戻そうとして明るい表情を見せる街の、
その裏にある悲嘆や不安にも思いをはせる必要がある。

さて、その先である。

東北の方は、大被害地域以外の方がたも、
心の中で悲しい思いをされているのだから、しばらくは我々ができることはない。
今は東京でおとなしく自粛し、喪に服していればいい、ということでいいのだろうか。

僕は彼らの悲しみにも寄り添うことが大切だと思うが
彼らが、明るく前に進もうとする気持ちにも、きちんと寄り添うことが大切だと思う。
むしろ後者が大切だと思います。それが第三の想像力。

悲しみを内に秘めていても、、
笑顔の下に涙をたたえていらっしゃるのだとしても、
たとえ表面的なカラ元気だとしても
その表面的な動き、前に進む気持ちを最大限応援していくことしか
復興を手助けする方法は、われわれにはありません。

最初はカラ元気でも、いずれそれが本物になる。
その時間軸も想像して、元気に寄りそう態度が必要だと感じます。

例えば、この夏の東北の祭り。
仙台の七夕をはじめ、多くの祭りが、今年も実施すると発表されています。
そこに臆せず訪ねていく、彼らの動きに積極的関わる
そんなことが大切なんじゃないかと思います。

街が普通に戻りはじめていることへの想像力。
その奥に隠れた悲しみへの想像力。
それをすべてわかった上で、まずは表の元気に寄り添い続ける想像力。
この3重の想像力をもつこと。

その心構え、心づもりがあれば
我々は、立ちすくむことなく、動くことができるのではないか
それぞれの動き方が見えてくるのではと、僕は思いました。

2011/04/29

電気の象徴、秋葉原を、節電の象徴にしたい。

まずは営業時間。思い切って深夜にピークシフト。
秋葉原は朝10時からでなく、夜10時からの店がオープン。

石丸電気は石丸“節”電気に。
「♪電気のことなら、い・し・ま・る・せつでんき〜」
ちょっと語呂が悪いけど。

秋葉原を拠点とするAKBのお姉さんグループSDN48は、
SaturDay Nightを由来とするセクシーグループから、
SetsuDeNを由来とする節電啓蒙アイドルグループに。

深夜活用という新しいライフスタイルをクールジャパンの聖地アキハバラから。

復興のシンボルソング

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110429-00000045-spn-ent

2011/04/28

会社の座席数を社員数の6割程度にする。
遅く出社して席がなかった人は帰宅して在宅勤務。
冷房の効かない会社でなく、自宅勤務の流れを促進!

2011/04/27

電力ピークをずらすためには生活に時差をつくることが大切。
ただ、まじめな日本人は出社時間が遅いとそれだけで怠惰な人に見られてしまいますよね。

そこで生活時間を海外に合わせる、というカタチでかっこよい言い方にできないか。
たとえば、タイ時間で出社する「マイペンライ部長」。
9時始業なのに、2時間の時差で11時出勤する部長でも
「うちの部長、タイ時間だから」と言えばかわいくなるのでは。
あるいはパリ時間で出勤する「銀座パリジェンヌ」。
17時つまり、サラリーマンから8時間ずれて夜から働きだす女性も
「パリ時間のオンナ」と言えばステキに聞こえるかも。

だれからも頼まれていませんが(笑)、勝手に節電アイデアを考えます!
今日から50日間連続で50本のブレストアイデアをアップします。

週末に被災地の方の文房具を届けに伺わせていただきましたが、
ひるがえって東京のことを考えても、
なにか、できることはないかなと思いまして。

この夏、800〜1000万キロワットの電力が不足。
これは国家レベルから、個人レベルに至るまで、
ライフスタイルそのものを変えていかないと乗り越えられない気がします。
タイトルは、

明るい節電! のための50のブレスト

なにかを抑制するという、ともすると後ろ向きになりそうな課題だけど
どうせやるなら、明るくポジティブにやりたいなという願いを込めて。
大きなアイデア、小さなアイデア、現実的なアイデア、荒唐無稽なアイデア、
おもしろいアイデア、ちょっとすべってるかものアイデア、いろいろ考えました。
なぜ、50案かと言うと、まあ、一応プランニングで食っている人間の矜持として
そのくらいは出したいなということで。

僕の大好きな西原理恵子さんの「ぼくんち」というマンガに
悲しい時、辛い時、しんどい時は笑うんや!! 
というセリフがありました。
そんな気持ちを秘めながら、テンションをあげて考えました。
(なので不謹慎とか、言わないでね)

このブレストは、
井上健太郎さん、横地広海知さん、秋田勇人くん、藤井恵理さん、西山トメ子さん
と一緒に考えてます。
僕が普段一緒に仕事をしているメンバーや、うちの事務所で
過去現在アルバイトをしてもらった仲間です。
そしてステキなイラストは大関さちこさんに描いてもらいました。

それでは、ブレスト50連発を、どうぞ。

23,24日の週末に、被災地の小中学校に文具を届けに行ってきました。
人のつながりで知り合った、女川第一中学校の阿部先生からの要請を受け、
友人、知人及び企業さんに呼びかけて集まったものを、持って行かせて頂きました。

いろんな想いがありますが、
とりあえず、3つのことを書いておきます。

①被災地は一様でないのだ、ということ。

仙台の若林区、石巻、その先の牡鹿半島、女川の4エリアをかけ足で目にしただけなので
わかることは限定的ですが、一言に「被災地」と言うけれども、それぞれ全く状況が違うということを感じました。


仙台市若林区は、海から仙台東部道路までの田んぼが見渡す限りが流されゴーストタウン。

ただ一歩、仙台の町中に入ると、少なくとも表面上は、店も開き、活気も戻っているように見える。
(あくまで表面上であって、心の中にあるものまでは、推し量れないが)
節電がない分、東京よりも街は「明るい」。東北経済はすでに立ち上がりはじめているという印象を受けた。

街中で食事をとりながら、
このギャップがなんとも、自分の中で消化しづらく、でもこれがリアルだと感じた。


石巻では街の一角がスポッと削り取られて場所が、そこここにある。


また、海岸沿いの多くの工場も破壊されている。これが産業として手痛い。


女川は山が海に迫っている地形。狭い平地部分に町の機能が集中していた。
そこがすべて流されてしまっている。


クルマを押し上げる破壊力。

行政の中心ごと失われたところ、産業が失われたところ、町の一角が消滅したところ
いろいろある。あたりまえだけど地形も全く違う。
東京でなされているエコタウン構想とか、エネルギー特区とかいう議論も大きな視点では大切だと思うが、
現地の個別の実情をふまえた議論であるべきだと強く感じる。

②モノしか届けられないけど、モノ以上のものを受け取っていただける


お届けさせて頂いたのは、牡鹿半島の東浜小学校。

たくさんの友人、知人より文房具の提供を頂きましたが、
特に日本テトラパック様からは、ヨーロッパから急ぎ送っていただいた数千冊のノート、ペン、常温牛乳などを
たくさんご提供頂きました。ありがとうございます。

今回、牡鹿地区へと連れて行ってくださった女川第一中学の阿部先生からは、このようなお話を頂きました。

「いま、表面的には元気にふるまっている子供が多いのが、逆に心配である。深い心の傷を周りの人に表現できない状態にいると感じる。そういった子たちに、とにかく多くの人が支えになってくれていることを伝えることで、くじけないように支えてあげたい。今回、人のつながりによって、東京の人から、そしてその先のヨーロッパの人から、『GANBARE NIPPON』と記されたモノを送って頂いた訳だが、これは単なるモノではなく、人の気持ちだと思う。遠くからも支えてくれる人たちがいるという意味を伝えながら、子供達に渡したい。そうすれば、少しは心の支えにしてもらえると思うから」

今回、微力ではありますが、直接お届けできたことに意味は感じました。
また、わたしたちは、モノや義援金しか送れなかったりするので
もどかしさを感じたりもしますが、子供さんの心の支えになるなら続けていかねばと思いました。
先生にも、継続的なサポートを約束してきましたので、やっていきます。

③牡鹿半島のこと

阿部先生は牡鹿半島のご出身。状況をお伺いしました。

「牡鹿半島は漁業を生業としており、特に牡蠣の養殖が産業の中心。
今回、その牡蠣の養殖場がほぼ壊滅状態となった。
また住宅も、海に近いエリアは完全に崩壊し、死者がでている。
牡蠣の養殖がまた元に戻るためには、個人経営を営む各家庭が、何千万円する養殖用のいかだを再びつくった後、育成し、3年経ってやっと収穫ができるとのこと。
つまり、このエリアのお父さんお母さんは、すべてを失った上に、
さらに向こう3年間、収入ゼロに陥る可能性が高い。
そのため、子供のための学用品、文房具等にお金を回すことが非常に困難な状態。」


牡蠣はホタテの貝殻につけて養殖する

また、僕が不勉強で知らなかったのですが、
このエリアは単に牡蠣が名産ということを越えて世界の牡蠣産業を支える場所なのです。
先生に伺ったことに、後でWEB確認したことを加えてまとめると、

・日本中でとれる牡蠣(広島も厚岸も)はもとより、世界の80%の牡蠣のルーツは、実は石巻、牡鹿にある。
言うなれば、ここが世界の牡蠣のふるさとと言ってよい。

・そもそもは20世紀初頭に宮城新昌氏(著名な料理記者、岸朝子氏の実父)が、
 この地で、輸入した牡蠣から養殖法を確立したことからはじまる。
 やがて、その養殖法が世界に広まっていった。

・また、1960年代、そして3年前にもフランスで牡蠣が死滅しそうになった時、
 ここの漁師が、同じ漁師が困っているならと種ガキを送り、救った経緯がある。
 (商品として売ればビジネスになるのに、それをあえてしないで種を送ってあげた)

・つまり、今ヨーロッパでヨーロッパ産の牡蠣を食べられているのは、牡鹿の漁師さん達の
 温かい友情のたまものだと言うことができる。

今回、自動車部品のサプライチェーンの話がよくでますが、
海産物もまた、そういった世界的なつながりがあるのかと、驚くとともに、
その影響の甚大さを思いました。


うちあげられてしまった、養殖道具。

被災地域はいま、最低限のモノは届けられている状態。
今後は、瓦礫の除去作業のために汗するボランティアや、
町を取り戻す上での多面的な人的交流など、「人」が、行くことが大切に思いました。

たとえば、石巻では、ボランティアの受け入れもしているので
(まだ、その体制が整っていない場所もある)
微力でも、できることがありそうです。

http://www.camper.ne.jp/npo/ishinomaki/

仕事の合間を見つけて、次回は、そういった所に行ってみようかと思います。

2011/04/20

エージェンシー所属およびインディペンデントの、
一線のアカウントプランナーが集まって、
こんなリレーエッセイから、活動はじめています。

みなさん大変お忙しい方ばかりですが、奇跡的に時間を合わせて、
会合をしてます。とても刺激されます。

磯部もこれまで2回ほど書かせて頂きました。

http://senryakutengoku.com/isobetti/284

http://senryakutengoku.com/isobetti/494

2011/04/13

僕は日本の90年代、00年代のいわゆる「失われた20年」は、
「シニシズム」の20年だと思ってきました。

ちなみにシニシズムはスロヴェニア出身の精神分析学者ジジェクによって理論化された概念ですが
それはスノビズムやニヒリズムとどう違うの、と言われても完全に説明しきる自信はないです。
まだ勉強不足です。。。
ただ僕は、ざっくり以下のように捉えています。

物事に対する皮肉的、冷笑的態度。
あるいは、メタ(上から目線)に立ち、すべてを相対的に評論する姿勢。
一億総評論家。知的な人ほどそのような傾向が強いように思えます。
僕自身、そういったシニカルなマインドを抑えることができない自分を見つけます。

デフレはシニシズムの苗床/ビオトープ。

給料も下がるけれど、物価も同様に下がるデフレ経済では
実質的な購買力そのものは、実は下がりません。
ただデフレは懐を痛めず、人々の神経を痛め、シニカルにする。
その意味において根深いのです。それが直ちに悪いわけではありませんが。

シニシズムそのものに、善悪のラベルは貼られていないが、
少なくともマーケティング、コミュニケーションに携わる者にとってはやっかいな代物であったと思います。
とにかく、企業が発信した情報を素直にそのまま受け取ることはなく、
商売的事情、裏の狙い、マーケティングゲーム的意味合いなど、あることないことまでを
勝手に「あえて悪意で読みこまれて」しまう状態。
だから送り手側も、読み込まれてしまうことを前提に、仕掛けたり、あえて仕掛けなかったり。
その意図すらまた深読みするといういたちごっこ。

さて、3.11。
3.11以降論が今後喧しく語られるであろうが、やはり興味を持たずにはいられない。

3.11はこの20年を覆ってきた「消費社会的シニシズム」(大澤真幸)にどのような影響を与えるのだろうか。

政府も、ピカピカの超一流企業も信じられなくなった時、
私たちの心はさらなるシニシズムの深淵へと、潜り込んでいくのだろうか。
希望や信頼、よりより明日を信じるマインドセットが生まれ、
理想が力を持つ時代になるのだろうか。

ものを買うのか。何を信じて、何を買うのか。

しばらくは給与は減るだろう。電力制限で、生活は大変になるだろう。
冷房さえつけられないかもしれない夏。我慢が求められる。
国際的地位は下がるだろう。この国はもっと「貧しい国」になるのかもしれない。
その時、私たちの中にたくましく前向きなマインドが目覚めるのか。

経済を見るだけなら、GDPや失業率や国債発行残高や日経平均や鉱工業指数を見ていくのだろう。
でも、われわれコミュニケーションに携わるものは、その数値化しづらい
「シニシズム指数」を注意深く観察していく必要があるのではないかと、思う。
それによって、やるべきattitudeが全然違うように思える。

ちなみに、人一倍シニカルな僕は、
自分で自分を観察すれば、シニシズム指数がはかれるんじゃないか
なんて思ったりもしてます。
今後、定期的に、シニシズム指数を発表しようかな。
天気予報みたいに。